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ウェブログ・ハンドブック

ブログを運営していると、つい本屋でブログ本を見ると購入してしまう。

今回は「ウェブログ・ハンドブック」(レベッカ・ブラッド著 毎日コミュニケーションズ刊)を読んだ。
書かれた時期がちょっと前だが、内容的には全然問題がなく、今でも通用するものばかりだった。

ただ残念ながら、金額の割には得られるものが少ないように感じた。
たまに、はっとする文章があったので、それを少し紹介したいと思う。

 全てのウェブログでリンクのリストが中心に来る必要はないが、どんなタイプのウェブログであれ、オンラインの情報源に言及する際は、それにリンクする必要があるというだけのことだ。  他のどんなメディアでも不可能な透明性を生み出し、ウェブログに信頼を与えているのはリンクなのだ。そして、ウェブログ(というより、いかなるオンラインのライティング)と単にウェブに場所を移しただけの旧来のメディアのライティングを区別するのも、やはりリンクなのだ。

なるべく記事の中に、リンクを含むようにするべく意識している私にとって、示唆に富んだ文章である。

リンクがないと、どうしても独りよがりになりがちだ。
そんな記事は広がりが出ることもなく、そこで終わってしまう。

リンク先の文章も読んで、さらにリンクがあればそれも読み、と一つの話題でいろいろな方向性が生まれてくる。

一人で考えていたのでは思いつかないような考えに、たどり着いたりする。
そして何より自分の考えに、より深みが加わるようになるのだ。

そんな影響力のあるブログを書いていきたいと、常々考えている。

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わたしゃ新聞記者の「メディア観」が心配だ

読売新聞3月24日の社説、”堀江氏の「メディア観」が心配だ”を読んだ。

 権力を監視し、社会の不正を暴き、公正な世論を形成する。新聞や放送のニュース部門は、その精神で取材・報道に心血を注いでいる。官庁や企業の発表、発生した事件を垂れ流すだけでは、ジャーナリズムとは言えない。  隠れた真実を探り出し、必要な関連情報とともに提供することが、国民の「知る権利」に応えることになる。

これ書いた人って、自分たちをあえて否定したいのでしょうか。
人をけなすのは好きではないのですが、あまりにどうしようもない状態に耐えかねて、このところ批判的な記事を書いている。

この引用に書いてあることって、もはや新聞や放送だけが担っているわけではないと私は思っているのですが、間違っているでしょうか。

既存のメディアが公平性を欠いている、ということが最近問題になっているのに、自分たちが公正な世論を形成していると自負している。
むしろ情報を垂れ流してもらうだけのほうがいいのではないか、と思うことも少なくない。

 しかも、放送は公共財としての電波を使う。政治的公平性、事実を曲げないこと、多角的な論点を提示することなどが放送法で義務づけられている。

今の放送は、本当にこのとおりになっているのだろうか。
特にテレビはひどいと感じる。

今のテレビに、ジャーナリズムを感じている人って、少ないんじゃないでしょうか。
ほとんどの番組が、テレビ的な面白さを追求して作られている。

お笑い番組なら、それでもいい。
ただドキュメンタリー的な要素の番組でも、同じ手法で作られているように感じる。
境目がなくなってしまっていると思う。

数年前、「やらせ」が問題になったが、ほとんどの番組が「やらせ」の要素を含んでしまっているので、「やらせ」をなくすのは無理な話だ。
度が過ぎた「やらせ」を、批判することくらいしかできない。

ニュース番組でも、それは言えると私は思っている。
そろそろ原点に立ち返ってみてもいいのでは、と言いたい。
でも原点に返ってしまうと、強い刺激に慣れてしまった私たちには、さぞつまらないものに感じるかもしれないな。

最後に社説はこう結ばれている。

 マネーゲームで「経済的価値」を追求することは自由だ。だが、ジャーナリズムの基本精神は、”マネー追求”とは遠いところにある。

発行部数、視聴率、聴取率という”マネー追求”から、今の新聞、放送が本当に遠いところにいるのだろうか。
この社説を書いた人間に聞いてみたいところだ。

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ニッポン放送問題への年寄り芸能人の反応に物申す

同じことを考えている人がいてうれしかった。

634(ムサシ)の宴というブログのニッポン放送を降板するのは年寄りばかり!

ニッポン放送問題に対するじいさんばあさんの反応は、そのまま今の日本社会を映す鏡になっているような気がする。
われわれホリエモン世代にとっては、早く引退しておとなしくしててよ、という感じだ。

改革、改革といわれているわりには、ちっとも改革されないのは、明らかにじいさんばあさんのせいだ。
われわれ若いものには、いい迷惑なのだ。

あと20年も生きれば御の字という人間と、人生の半分も過ぎてない人間では切実さに違いがありすぎる。
世の中がこのまま変わっていかないとやばいことになるという危機感を、人生半分過ぎてない組は痛切に感じているのだ。

変えていくために手段を選んでいる場合ではないのだ。
それは昨年のプロ野球選手会の古田会長の行動に良く表れていた。

でもさぁ、よーく中身見ると、 ハッキリ言って旬を過ぎたロートルばかり。

江本孟紀・倉本聡・市川森一・タモリ…。

これらの方々、もうあまり期待されてないって理解してないのかなぁ。
これを機会に引っ込んでくれてよかったと思ってる人が、けっこう多いような気がするな。

「“リスナーを大事にしている”のであれば、リスナーを無視して、経営が変わったらパーソナリティーを降りるということを発表するのはよくないと思う。それでなくてもリスナーは不安やろうに…。ナインティナインは今のところその意向はないので、皆さん毎週ラジオ聴いて下さいね」

このデイリースポーツに載っているナイナイのコメントが、とってもまともに感じるのは私だけだろうか。
引用元はこちら。ナイナイ オレたちは出る!

意外と言っては失礼なのかもしれないが、こういう時に納得できる行動をするのがこの方。
和田アキ子である。
以下のリンクを呼んでみてほしい。

アッコが堀江社長叱る「露骨で嫌」
アッコ「オメエおかしいだろ」堀江社長にブチ切れ!!

まったくそのとおりでございます。恐れ入りました。そんな感じだ。

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日本の高校生はなぜ自己中心で刹那的なのか

ちょっとネタが古くなってしまったが、どうしても扱いたい内容がある。
以下の新聞記事だが、日米中の高校生にアンケートを取った結果の記事だ。

自己中心で刹那的-日本の高校生 米中に比べ際立つ低さ

「今が楽しければ」将来に希望抱く高校生は24%

どうもこれらの論調を見ると、何か新しい仕組みで子供の考えを変えさせようという感じが受け取れる。
それってどうなんでしょうか?

問題の根本を見誤っているような気がするのは、私だけでしょうか。
日本の高校生が自己中心で刹那的な傾向なのは、日本の社会や大人を見てそうなっているのだと思う。

 将来に備えてしっかり準備しようという米・中に対し、日本は「今が楽しければ」という享楽志向が強く、学校以外では勉強しないという割合も際だって高かった。

この読売新聞の文章が、そのことを表している。
将来に備えてしっかり準備しようという発想は、今の日本の社会で考えなさいというのは難しくはないだろうか。

読売新聞の3月16日の社説にこんなことが書いてある。

 自国に誇りを持っているか、の質問に「持っていない」と答えた日本の高校生は半数近くに上った。国旗・国歌を誇らしく感じるという生徒は米、中ともに5割前後いるが、日本では1割強だ。

これを読んでアメリカは5割もいるのかと思った。
武力で他国に脅威を与えている自分の国に誇りを感じている人が半数を占めるのだ。
ちょっと恐ろしいと感じた。

それに比べて、自分の国を不甲斐ないと感じている日本の高校生の感受性のほうが、怖さを感じる部分は少ないと思った。
でも問題なのはその次だろう。
もし日本の高校生が自国に誇りを持てないのだとしたら、自分たちが変えていこうという気になってもらいたい。

さらにこんなことも書いてあった。

 誇りも何も感じない、という日本の生徒が国旗で57%、国歌で65%もいる。1989年の調査より増えた。学校式典での国旗・国歌に「起立して威儀を正す」ことをしない生徒は7割に上る。イデオロギー的な嫌悪感を示す教師の存在が、背景にある一つの要因ではないか。

自国に誇りをもてないことを、学校などの教育現場に問題があるように書いているが、これこそ馬鹿げている。
よほど高校生のほうが、問題の根本をきちんと感じているのではないのだろうか。

調査から浮かび上がった問題点を、日本社会全体が重く受け止めるべきだ。

この一文には賛成だ。
ただ受け止め方を間違えてはいけない。

疲れきった顔や暗い顔をした大人がたくさんいるのに、いくら一生懸命教育で誇りを持つようにしようとしても、何も変わるはずがない。
手本となるべき大人が、一人ひとり魅力のある生き方をしていれば、自国に誇りを持つ高校生が増えるのではないだろうか。
それが我々ができる些細ではあるが、誰でもできる大きな一歩だと思う。

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ホリエモンのビジョンはどこへ行くのか

いよいよホリエモン勝利という見方が多くなってきた。
ますます今後の展開から目が離せない状況である。

たくさんのブログを見て、いろいろな意見を読みたいのだが、悲しいことになかなか時間が取れずにいる。
そんな中で見たブログが、Think difficult!のニッポン放送株問題が提起する新たな論点という記事。

 そもそもホリエモンの言う「メディアとネットの融合」ということ自体が具体的にわかりにくいという批判がある。「単なるマネーゲームではなく、ビジョンを示せ」という声に対して、ホリエモンのほうは機会を捉えていろいろと言っているようだが、これがまた要領を得ない。これは、ホリエモン自身も実はよくわかっていない(確たるビジョンあるいはビジネスモデルがあるわけではない)のか、わかってはいるけど他人にわかるように説明できないのか、あるいは単に手の内を明かさないだけなのか、という疑問もさることながら、それ以上にいまのマスメディア(つまりホリエモンの言説を理解して報道する側)にそもそもホリエモンの言い分を理解する能力、あるいは理解しようとする意思が欠如しているからではないかという気がしてならない。

私はこの意見にほぼ同感である。
ただ私には、「ホリエモン自身がよくわかっていない」というよりも「ホリエモン自身がどうしたらいいか決めかねている」ように感じる。
確たるビジョンを、今現在は用意することができないのではないのかと思う。

というのは、今回の騒動の流れを見ていると、一気に大きな改革を行って、これ以上反感を買うのは得策ではないと考えているように思う。
そしてこれは私の意見だが、ゆっくりじっくり確かなビジョンを確立していけばいいのではないのだろうか。

だからニッポン放送がライブドアの傘下になったとしても、当面は大きな変化は起きないような気がしている。
これからどう変化していくのか何もわかっていないのに、出演拒否を表明している方がいるようだ。
その行動がいったい何に起因しているのだろうか。
よくわからないので、教えて欲しい。

伊達に30そこそこで「百億稼ぐ男」になったわけではないわけで、彼がそういう「嗅覚」に優れていることは認めなければなるまい。マスメディアとネットが交錯する場になにかしら新しいビジネスチャンスがありそうだと感じ取ったからこそ、彼は今回の買収劇を仕掛けたのだろう。

私もこのホリエモンの「嗅覚」は評価に値すると思っている。
今はこの「嗅覚」を信じてもいいのではないかと感じている。間違った方向に流れた場合に止めることができるのならば。

「メディアとネットの融合」はなにもホリエモンの専売特許ではない。メディアの側からそれを仕掛けたって一向にかまわないのではないか。

私はこっちの方が興味があるし、期待するところが多い。
インターネットが普及し始めた頃は、そういう動きが少しあったのに、最近はほとんど見られない。
残念だが、放送業界の怠慢と言っていいと思う。

個人的にはこっちのベクトルの方が、面白いことがいろいろできそうな気がします。
これもホリエモンにがんばってもらわないといけないんですかねぇ。

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そういうことだったのかホリエモン

いつもチェックしている流行りモノと気になるビジネス書のログの記事ニッポン放送買収、ホリエモンの本音を発見!を見て納得。

ホリエモンは騒動を起こす前に、こんなインタビューを受けていたんですね。

それはメディアの特権性と言うか、聖域化されているメディアのブランドを破壊するために、メディアを買うんですよ。

堀江氏のこの言葉は、今回の騒動がなかったら「そんなこと考えてるんだ」くらいに、軽く流されていたでしょう。
ところが今回の騒動の成り行きを見ていると、非常に重たい言葉となる。

「聖域化されているメディアのブランド」この言葉の意味を私は今、痛感している。
このインタビューの載っている、「時代はブログる!」(須田伸 アメーバブックス刊)をぜひ読みたいと思う。
というか、今回のホリエモンの行動に興味があるならば、必読と言えそうな感じである。

そしてこの痛感は、私のホリエモンは破壊王なのか?という記事にトラックバックしていただいた、ビデオジャーナリスト神保哲生氏のオフィシャルブログの実はライブドアにとってはニッポン放送だけでも十分(なはず)なんですよを読んでさらに強まった。
特に気になった部分を引用してみよう。

もしライブドアがニッポン放送を傘下に収めれば(そして、仮に過半数の株を押さえなくても、既に圧倒的な筆頭株主として実質的には傘下に収めたと考えていいと思いますが)、フジテレビが増資するなどしてニッポン放送の持ち株比率を薄めようが、、またニッポン放送の全社員が退社して箱を空っぽにするというような奇策に出ようが、ライブドアは記者クラブのアクセスを得ることになります。

私のように日々記者クラブの壁に苦労している身としては、そのことも持つ意味の方がフジテレビの帰趨がどうなるかよりもはるかに重大です。

ラジオ局はラジオしかできないのではないかとお思いの方もおられるかもしれませんが、そのような論理は一旦中に入りさえすれば何でも通ってしまう記者クラブのカルチャーには存在しません。

これらの言葉は実際にジャーナリストとして活動されている方の貴重な言葉だ。
ホリエモンが神保氏の言葉にあるようなことまで視野に入れて、メディアのブランドを破壊すると言っているのだとしたら、とても楽しみである。

本当のところはどうなのだろうか。
それから破壊したあとに、何が生まれるのだろうか。

これらのブログを読んで、ますます今後の動向から目が離せなくなりそうだ。

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これだからブログ見るのはやめられない

どこまで本当なの?もちろんウケねらいですよね?
と突っ込みたくなる強烈なブログを見た。

スパムメールという名のゲームにて紹介した、小鳥(a little bird)というブログですごいブログが紹介されていた。

その記事はひろこ28歳ファンクラブはどこですか?

当の強烈なブログは今年ゼッタイ結婚します  ~ひろこ28歳の日記~

とにかく見てください。
洗い物がたまってたり、水道代払ってなかったりと、そんなことをブログで晒しておいて「今年ゼッタイ結婚します」とは、これいかに。

さらに砂肝を大量に買うなんて、28歳の女性は普通しないでしょう、という買い物までしている。
どこが普通ではないかというと、砂肝キロ単位で買いますか普通。信じられない。
砂肝好きの私でも、そんなに食ったらさすがに飽きる。

どこまで本当で、どこまで作りなのかわからない。

外見は悪くないんですけど、感覚が普通とは思えない。
さすが音大院生。音楽から足を洗った私には、この感覚理解できますが、普通ではないよ。
(音大院生がみんな、普通ではないということではないので、誤解のないように)

コメントがたくさんついているので、ファンはたくさんいるみたいですね。
何がすごいって、ほぼ毎日書込みされている。
いつまでネタが続くのだろうか。

とりあえず毎日笑わせてもらいましょう。

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スパムメールという名のゲーム

悪しきスパムメール。
私はスパムメールを読むことはない。もちろん用がないからだ。
即、ゴミ箱行きである。

なんと言っても信じられないのが、スパムメールを真に受けて返信したり、サイトを見てしまう人が世の中にいるということだ。
そういう人がいる限り、毎日迷惑なメールが送られ続けるのである。困ったもんだ。
そしてどんどん進化していくのである。

どうして突然スパムメールネタなのかというと、小鳥(a little bird)というブログのセレブスパム一覧を見て、レベルの高いスパムメールがけっこうあるもんだと感心したからだ。

少なくとも私のところには、思わず開けてしまうような巧妙なスパムメールは、今のところ送られてきていない。
スパムメールはタイトルが勝負だ。その次は書き出しが重要だ。
このふたつで読む人の心に引っかかるようにしなければならない。

このかけひきにゲーム性を感じてしまうのは私だけであろうか?
ウィルスが添付されてなければ、スパムメールも楽しめるものがあるということが、上記の記事から感じられるだろう。

日々いかにメールを読ませるかということを、ひたすら考えている人がいるということに想像をめぐらせると、より一層楽しめること間違いない。
どんなにがんばって拒否したり、フィルタリングしたりしても送られてくるのなら、楽しんでしまおうというのもひとつの手だろう。

「おそれいりました、思わず最後まで読んでしまいました」というスパムメールがやってくることを楽しみに待ってみようと思う。
もうひとつ私が信じられないことがあるのだが、スパムメールで被害にあってしまうような方には、そういう巧妙なメールは受けが悪いのである。
ストレートな内容でないと、そんな方々の心にストレートに届かないようである。不思議だ。

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伝わる・揺さぶる!文章を書く

山田ズーニー著の表題の本を読んだ。
読み終わってから、ちょっと時間が経ってしまったので新鮮さが少し失われてはいますが、気になったことを抜粋したいと思う。

この本の率直な感想は、もっともなことが書かれているけど難しくて実践できない、ということだ。
いろいろな書店で平積みされているのを見たので、とても売れているようだが、果たして活かせる人がどのくらいいるのだろうか。

ここではそんな難しいことは抜きにして、気になった言葉を拾っていく。

 自分以上にいいものを書く必要はない。しかし自分以下になってはいけない。だからこそ、書くために必要なのは、「考える」ことだ。

この言葉も難しいと言えば、とても難しい。ものすごく観念的で、実際のところどうしたらいいのかわからない。
とにかく自分を書くために、考えることが大切だということは、漠然とだがわかる。

ただ私は考えることで自分探しをしているところがある。それは自分以上なのだろうか、それとも自分以下なのだろうか。

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久しぶりに村上春樹を読むのもいいかも

このブログのサイドバーにMyblogListというのがある。
これは私がたまに見るブログを登録していて、私が便利なようにしてあるものだ。

そこに登録してあるブログの記事で気になるものがあった。
流行りモノと気になるビジネス書のログ の 村上春樹の歩き方がその記事である。

私は昔は熱心な村上春樹のファンであった。
最近はそれほど読まなくなってしまったが、それでも気になる作家の一人であることには変わりない。

上記の記事では、「ノルウェーの森」の次に読むには何を薦めたらいいか、ということについて考察している。

読んでいて気になったのが

■春樹本「恋愛モード」コース 何となく登場人物が連鎖しています。
・「ノルウェーの森」
    ↓
・「国境の南、太陽の西」
    ↓
・「スプートニクの恋人」

という部分。私には、どうもこのコースの作品がほかのコースの作品よりも、印象が薄いのだ。
「ノルウェーの森」は、私にも強烈なインパクトがあったのだが、残りの二作品はそれほどでもなかった印象がある。
それでもほかの作家の作品に比べれば、圧倒的に強い印象を残しているのだが。

では、どうしてなのだろうか、と考えてみたのだが、よくわからない。
もう一度読んでみたら、もしかしたら印象が変わるかもしれない。

ところで、「ノルウェーの森」の次に何を薦めるかという問題だが、これもわからない。
けっこう難しい問題だと思う。
個人的には村上春樹のエッセイが好きなので、変化球でエッセイを薦めてみるのもいいかもしれない。

「いや、エッセイじゃなくて小説がいい」と言われると困る。
私が好きな「ダンスダンスダンス」を薦めると、どうなるのだろう。
でも、この作品は昔読んだ印象と今読んで感じる印象が大きく変わりそうな気がする。
15年以上前に読んだからなぁ。

というわけで、考えれば考えるほど結論は出なくなっていく。

そういえば、数少ないまだ読んでない作品の「海辺のカフカ」が文庫化されたから、読んでみようかな。
それとも、上記の記事でリンクしている 東京紅団のHPの「村上春樹風お正月の過ごし方」に出てくる場所に行って、さらに深みにはまってみようかな。

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ライブドアのやりたいことはできるのか

昨日のフジテレビの日枝会長の会見を見て、堀江社長に対して今が引き際だと思った。

これ以上ニッポン放送の株を買い付けたところで、本当に堀江氏のやりたいことができるのだろうか。
おそらくできないだろうと私には感じられる。

やりたいことができないと判断したら、すぐに撤退する方向で考えてほしい、というのが私の意見だ。

私の記事にトラックバックしていただいた 大いなる夢 の記事 ライブドアを通して考える新しいジャーナリズムの形にこんなことが書いてあった。

フジテレビによるニッポン放送のTOBは成功裏に終わり、ライブドア堀江さんの形勢不利は否ません。裁判を絡めた戦いは長期にわたるため、ライブドアのスピーディーなビジネス展開には全く相容れないものです。従って、今回の件について、私は昨日をもって堀江さんの名誉ある撤退を主張したいと思います。「想定内」だからこそ、余裕を持って撤退すべきです。

これを読んで、上記の意見をさらに強く感じた。

それにたとえライブドアとニッポン放送が提携することになったとしても、今の状況ではやりたいことがすんなりできるとは思わない。
「提携することになりました」「はい、わかりました」とならないことが、今までの一連の騒動で明らかになったと思う。

マスコミが外部からの新しい風を取り入れることに対して、いかに閉鎖的であるのかということがわかった。
だから堀江社長には今こそ「撤退してください」と強く言いたい。
そして次の新しい手を考えてほしい。

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ホリエモンは破壊王なのか?

またまたホリエモンである。
ホリエモンことライブドアの堀江社長に関するブログの記事の内容に、共感できるものが増えてきた。
やっと私は異端でも変人でもないのだと思えるようになった。

TBしていただいたVIDEONEWS BLOGの記事なぜ私たちはホリエモンを応援すべきなのかにこんなことが書いてあった。

番組の中で、私は彼の壊し屋としての力については120%の評価をしているが、その後に何を作るのかが見えてこないので、その部分が見えないうちは評価を留保したいと発言しました。ライブドアが提唱しているパブリックジャーナリズムなどの発想があまりにも安直過ぎるように思えたからです。

しかし、これは宮台さんの一言で吹っ飛びました。
「壊し屋としてのホリエモンに、創造主としての役割まで要求する必要はないじゃないですか」

この宮台さんの一言を読んで、私は心の中にあるもやもやが晴れた。
私が何かすっきりしないと感じていたのは、今回のニッポン放送株の件で世間が、まだホリエモンに期待をしていることだったのだとわかった。

ホリエモンは、もうすでに十分役割を果たしていると思う。
これ以上期待しなくていいのだ、ということに気がついた。これは大きな発見だ。
もうそろそろ「次は何をするんだ」ということに目を向けた方がいい。

世の社長さん方が「うちの会社もやばいかも」と考えるようになれば、それでいいだろう。
株取引の法改正の動きも出てきているようだし。

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やっと見つけた使えるカレーブログ

どうやって見つけたのかは覚えていない。
カレー好きにはおすすめのブログだ。
それは東京カリ~番長のブログカレーである。

2月に始まったばかりだから、1ヶ月とちょっとなのでまだ完全に方向性が決まっていない感じだ。
でも行ってみたいと思うお店がすでにたくさん紹介されている。

私は最近は食べに行くだけでなく、いよいよ自分でカレーを作るようになった。
なかなかバリエーションが増えずに困っているので、おいしく作るポイントとか書かれたら最高なんだけどなぁ。

そのブログで気になった記事が好きな食べ物、おしゃれな食べ物

なに? カレーには“おしゃれ感”がナイってか?

え、そんなこと言ってナイ?

いや、言ってる!絶対言ってる!

だって、松井はおしゃれじゃないじゃ~ん。
「松井」=「おしゃれじゃない」、「松井」=「カレー」
とくれば、
「カレー」=・・・・  、、、もう、自明の理。

カレーがすごいおしゃれだとは思わないけど、プチおしゃれくらいだとは思うんだけど。
世間ではどう思われてるんだろう。
私がよく行くカレー屋には、女性のグループがたくさん来店してる。

イタリア料理やフランス料理に比べたらおしゃれではないけど、けっこういい線いってると思ってるのは私だけだろうか。
店内の装飾が凝っていて、エキゾチックな雰囲気を出してがんばってる店が多い。
そういうのはおしゃれと言わないのだろうか。

私はカレーはおしゃれだと思う。
最近おいしいカレーを食べていない。あぁカレー食べたーい!!

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ホリエモンってマゾなの?(Hな話題ではありません)

今日ブログの記事を読んでいて、もしかして堀江社長はマゾなのか?、と思ってしまった。
その記事は 晴嵐改の生存確認ブログ の 堀江社長について思うことである。

この記事を読んでいて、以下の引用の部分でふと気になった。

理屈では、それは正しいです。でも、実際にそういう行動に及んだら、周りはどう思うのかということを、事前に考えなかったのでしょうか。折しも、フジテレビがニッポン放送に対してTOB(株式公開買い付け)を行っていた最中の出来事です。フジテレビの経営陣にしてみれば、TOBの妨害以外の何ものでもないでしょうから、面白くない。当然、反発が出る。そうは考えなかったのかな、と不思議に思うんですね。

堀江社長は、このことを考えていないはずはないと思う。
いくら何でも、そこまでお馬鹿さんではないだろう。だとしたらどうして?

反発が出ることが予想されるから、あえてニッポン放送株の買い付けを行った、と考えることはできないだろうか。
もちろんこの考えがうがった見方であるというのは、十分承知の上である。

ただ、そういう見方をすることもできる、ということが言いたいだけである。
堀江社長は実は、自ら苦境に立たせることで自分を奮起させるタイプなのでは、と感じる。

かく言う私がそのタイプである。
生ぬるい状況下にいるとダメ人間になってしまうのである。

自虐的に難しいほう難しいほうへと進んでいく。
「ああ、俺今がんばってるなぁ」ということに喜んでしまう。
そんなのは私だけですね。

でも堀江社長にそのような部分はないだろうか。わからない。
しばらくこの視点でも、ことの成り行きを見ていきたいと思った。

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ホリエモンに対する日テレ会長の発言にまだまだ日本も捨てたものではないと感じた

日本テレビの氏家斉一郎会長が2月28日の定例会見にて、堀江貴文氏に対して感じることを発言したそうである。
以下はその発言の新聞からの抜粋である。

「どれだけ成功するか分からないが、既成の権力に立ち向かっていく姿勢は、日本に一つの活力をもたらすことがあるのかな。我々も若いころはつっぱっていた。常識は欠けていてもなかなか面白いことを言う」
「何かを変える『うねり』のひとつぐらいの力は持ってるのかもしれない。面白い問題を提起したと思う」
これを読んで、こういう感想を持つ人もいるのかと喜んだ。 今まで株だの、買収だの、乗っ取りだのとそんなことばかりが論じられていて不満だった。 このような発言をしてくれる人を待っていた。

ところがこの発言に関するブログを見ると、私のような感想を持つものは見つけられなかった。
どういうものが多かったかというと、以下の引用のようなものだ。

 日テレとフジって視聴率競争でライバル関係にあるわけっしょ。どーういう意図で言ってるのか、推し量りかねますけどね。日枝氏がフジから去ったらいいことあるのかな?   でも、エスタブリッシュメントの皆さん内部での調整がついた、ともとれる発言ですよね。これはっ、日枝サイド「アウト」かな、ふむぅ。

感覚の諸要素 ラフスケッチ より新キャラ登場「氏家斉一郎」氏


 結局他局の今回の報道の仕方って他人事なんですよね。自分の局が同じことされてたら同じこと言えたかっていうところあったりしますよ。
 まあ日テレとかにしたら、フジに対してざまあみろって感じなんでしょうけどね。

リッキーズサイト よりなんか結局人ごとなんだよなぁ。


上手いこと言う。

他のTV局としたらフジTVを超える絶好のチャンスではあるんだが、かと言って闇雲に叩いてしまうと復活された時にしっぺ返しを食らう。と勝手に想像した状況で考えるとコメントを頑張ってだしたなぁと思った。

こめつぶ より他の局はどうするのか?


これらを読んで真意はどうなんだろう、と私は闇の中に入り込んでしまった。
しかし、そんなことはどうでもいい。

私はおもしろいことに目を向けることを重視したいのだ。
「ホリエモンが何をしようとしているのか」ということに注目したいのだ。

このまま行くとプロ野球新規参入のような結果になるのだろうと予想している。
そこで問題になるのはプロ野球の時の楽天の役割を誰がするのか、ということだ。

ホリエモンのおかげでプロ野球界には変化が起きた。
今回のニッポン放送の事態が落ち着いた時、今のままでは何も残らないような気がする。
株の売買に関する法改正がされるだけだろう。

それでいいのだろうか?
今回の騒動を騒動として終わらせて欲しくない。放送界に新たな変化が起きることを祈っている。

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