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わたしゃ新聞記者の「メディア観」が心配だ

読売新聞3月24日の社説、”堀江氏の「メディア観」が心配だ”を読んだ。

 権力を監視し、社会の不正を暴き、公正な世論を形成する。新聞や放送のニュース部門は、その精神で取材・報道に心血を注いでいる。官庁や企業の発表、発生した事件を垂れ流すだけでは、ジャーナリズムとは言えない。  隠れた真実を探り出し、必要な関連情報とともに提供することが、国民の「知る権利」に応えることになる。

これ書いた人って、自分たちをあえて否定したいのでしょうか。
人をけなすのは好きではないのですが、あまりにどうしようもない状態に耐えかねて、このところ批判的な記事を書いている。

この引用に書いてあることって、もはや新聞や放送だけが担っているわけではないと私は思っているのですが、間違っているでしょうか。

既存のメディアが公平性を欠いている、ということが最近問題になっているのに、自分たちが公正な世論を形成していると自負している。
むしろ情報を垂れ流してもらうだけのほうがいいのではないか、と思うことも少なくない。

 しかも、放送は公共財としての電波を使う。政治的公平性、事実を曲げないこと、多角的な論点を提示することなどが放送法で義務づけられている。

今の放送は、本当にこのとおりになっているのだろうか。
特にテレビはひどいと感じる。

今のテレビに、ジャーナリズムを感じている人って、少ないんじゃないでしょうか。
ほとんどの番組が、テレビ的な面白さを追求して作られている。

お笑い番組なら、それでもいい。
ただドキュメンタリー的な要素の番組でも、同じ手法で作られているように感じる。
境目がなくなってしまっていると思う。

数年前、「やらせ」が問題になったが、ほとんどの番組が「やらせ」の要素を含んでしまっているので、「やらせ」をなくすのは無理な話だ。
度が過ぎた「やらせ」を、批判することくらいしかできない。

ニュース番組でも、それは言えると私は思っている。
そろそろ原点に立ち返ってみてもいいのでは、と言いたい。
でも原点に返ってしまうと、強い刺激に慣れてしまった私たちには、さぞつまらないものに感じるかもしれないな。

最後に社説はこう結ばれている。

 マネーゲームで「経済的価値」を追求することは自由だ。だが、ジャーナリズムの基本精神は、”マネー追求”とは遠いところにある。

発行部数、視聴率、聴取率という”マネー追求”から、今の新聞、放送が本当に遠いところにいるのだろうか。
この社説を書いた人間に聞いてみたいところだ。

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