起こせ!ムーブメント

実にタイムリーなものを見つけた。
何がタイムリーなのかというと、前回の記事「アーティストの単発契約は悲しいことなのか?」で書いたことをわかりやすく実践している人物がいたのである。

その人物を扱ったITmediaニュースの記事を見つけたのだ。
その記事は「Blogがすべてだった」――20歳ガングロ社長の“ギャル革命” である。

私は前回の記事で

ムーブメントの起こしかたは、とても多様化しています。
ついでにレコード会社がムーブメントを起こすことが少なくなっています。(というか起こせなくなってきている)
ムーブメントを起こせるアーティストって、どんな状況でも起こせるような気がします。(それが才能なんだと思うし)
だからレコード会社との契約で、そんなに大きく変わるとは思えないのです。

と書いた。
これを書いてから、具体的にその例が挙げられないかと探していた。
それがタイミングよく見つかった。

その記事で一番驚いた部分が以下の部分である。

 「ねぇねぇ、私、会社起こそうと思って。メアド教えて!」――そんな調子で、ギャルに声をかけまくる。「多分、みんな訳も分からず教えてくれた」――勇気を出して声をかけると、8割がメアドを教えてくれた。教えてくれるだけでなく、メアド集めを手伝いたいと言ってくれるギャルもいた。

いまどき、こんな方法でメアド集めをしようなんて思うとはすごい。
ビックリである。こんな方法は思いついても実行に移そうとはしないものだ。
でも彼女はしたのである。

この感覚を有名になったとしても持ちつづけてもらいたい。

 「ギャルだからってバカにすんなコラっ!。何かデッカイことをやって、ギャルもやればできるんだって証明してやる」

変に金儲けに走らずに、この気持ちが感じられるうちは、陰ながら応援したいと思う。

でもどういう内容のCDなんだろう?とても気になる。

とりあえず、まだブログをチェックしてないからしてみよう。
★☆ギャルの革命☆★

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これだからブログ見るのはやめられない

どこまで本当なの?もちろんウケねらいですよね?
と突っ込みたくなる強烈なブログを見た。

スパムメールという名のゲームにて紹介した、小鳥(a little bird)というブログですごいブログが紹介されていた。

その記事はひろこ28歳ファンクラブはどこですか?

当の強烈なブログは今年ゼッタイ結婚します  ~ひろこ28歳の日記~

とにかく見てください。
洗い物がたまってたり、水道代払ってなかったりと、そんなことをブログで晒しておいて「今年ゼッタイ結婚します」とは、これいかに。

さらに砂肝を大量に買うなんて、28歳の女性は普通しないでしょう、という買い物までしている。
どこが普通ではないかというと、砂肝キロ単位で買いますか普通。信じられない。
砂肝好きの私でも、そんなに食ったらさすがに飽きる。

どこまで本当で、どこまで作りなのかわからない。

外見は悪くないんですけど、感覚が普通とは思えない。
さすが音大院生。音楽から足を洗った私には、この感覚理解できますが、普通ではないよ。
(音大院生がみんな、普通ではないということではないので、誤解のないように)

コメントがたくさんついているので、ファンはたくさんいるみたいですね。
何がすごいって、ほぼ毎日書込みされている。
いつまでネタが続くのだろうか。

とりあえず毎日笑わせてもらいましょう。

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なじめないイエスの「危機」でブログのコメント機能について考えてみた

音楽関係のブログには、なかなかいいと思うものが少ない。
探す時間が惜しくて、真剣に探していないからかもしれないが、印象としてそう感じる。

でもおもしろいブログを見つけてしまった。
その名は言黙(ことだま)である。
まだ聴いていないロックの名盤、初めて聴いたロックの名盤について記事を書いている。

このブログのユニークなところは、まだ聴いていないロックの名盤について、いろいろな人からのコメントを募集しているところだ。
ブログのコメントの機能を有意義に活用していると感じたのは初めてである。

いろいろな人からの意見を読んで、買って聴いてみるか、それともやめるべきか判断する材料にするのである。
世の中で名盤として知られているものに対して、たくさんの意見が寄せられている。
それらを読んでいると、なるほどと納得するものや、そういう聴き方もあったかと新たな発見があって、参考になることは間違いない。

なんと言っても、遠慮のない率直な意見が多いのが素晴らしい。
今日の時点での最新の記事、聴いてみた 第6回 イエスにもコメントがたくさんついている。

それらのコメントにもあるように、私はイエスなら「危機」よりも「こわれもの」の方が好みである。
「危機」は、なじめなかったという感じがある。何度か挑戦したのだが、だめだった。
もしかしたら、今聴いたらしっくり来るかもしれない。

先日EL&Pを聴いてみたが、高校生の頃死ぬほど夢中で聴いていたのに、良さを感じなかった。
音楽の趣味が変わったからだろうか。それともプログレが時代に合わないのだろうか。

でもピンクフロイドは変わらず好きで、たまに聴いているのでプログレとひとくくりにはできない気がする。

言黙(ことだま)は、バックナンバーをさかのぼって読んでみようと思う。
そんなふうに思うブログも少ないように感じる。

超名盤と言われるものでも、聴いたことのないものはけっこうあるものだ。
言黙(ことだま)で「聴いてみたい!」と心から思える名盤に出会えるのを楽しみにしている。

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阿久悠の日記本から学んだこと

ふたたび、阿久悠さんの著書「日記力『日記』を書く生活のすすめ」(講談社+α新書)について書きたいと思います。
今日は気になった文章を引用したいと思います。

 時代の風を読むということは、そのとき流行っているものをとらえるということではないんです。ましてやブームに乗って、それを書こうとするものでもない。むしろ、その逆で、今は人気がないけど、それは大事なことではないか、耳をすませばその声が聞こえてくるのではないか、ということのほうを大切にするべきです。

これをそのまま実行するのは、私にはちょっと難しそうです。今人気のないものに目を向けるというのは、難しいことだと思うのです。
どうしても流行っているものが目にとまり、耳に入ってきます。

今人気のないものというのは、今存在感が薄くなっているものだと思うのです。そういうものに目を向けるのは、何倍も労力がかかるでしょう。

それにただ漫然と日常を送っているだけでは、そういったものには普通は気付かないものです。
でも、今流行っているものと相反しているものについて考える、ということならできそうです。
流行っているものに流されることなく書いていこう、というくらいの意識でいようと思っています。

 大好きなものはこれ、絶対に嫌いなものはこれ、ということがわかるかどうか、簡単なことのようですが、大事なことだと思う。日記をつけるという行為は、「自分のことがどれくらいわかっていますか」という確認でもあると思いますね。好き嫌いの感覚は大事にしたほうがいい。ただそうはいっても、「これはあなた、修正しなければ生きていけないよ」ということであれば、どうやって修正しなければならないのか、日記を書き続ければその手だてを見つける手引きにはなるんじゃないでしょうか。

「自分自身を自分が理解するための手助けにしたい」というのが、私がブログの記事を書いている最大の理由だと思っています。
好き嫌いの感覚はもちろん、自分の生き方など、書くことによって考えをはっきりしたものにすることができます。

それによって改善点、修正点に気付いたり、新たないい考えが浮かぶこともあるのではないかと考えています。

天候にしても何にしても、「昨日」と「今日」が劇的に違うということは、ほとんどない。気温にしても、せいぜい一度とか二度の違いです。ところが、一週間経ってみたら、何度変わっていたかということがわかる。このことこそ、日記の価値のあるところだと思います。  天気や気温の変化ばかりでなく、正義感であるとか、幸福観が変わっていく様さえも読みとることができます。同一人物であっても、そのいい回しは、日々微妙に変化していく。あまりにも微妙な変化であるため、その場では気がつかなくて当然でしょう。日記をめくって振り返ったとき、初めてそれがいつごろから、「あっちからこっちの線に移行してたな」ということに気がつくのです。

この文章は、長い間日記を書きつづけてきた人だからこそ、出てくる言葉だといえるでしょう。

私は長く書きつづけることによって変化に気付く、という経験がありません。だからブログを長く書き続けて昔の記事を読んだ時に、変化した自分と比較する日が来るのを楽しみにしています。

そこまで達するには、いったいどれくらいの年月が必要なのでしょうか。とにかく今は続けるのみと感じています。

 続けることがなぜ大切なのかというと、続けることによって違う方法論を編み出さなければ続かなくなってくるということなんです。また、続けることが一つの刺激にもなってくる。継続のためにおりおり新しい方法論を考える、自分を刺激する努力をする

幸いにも、私はまだ違う方法論を編み出さなければいけない状態には、なっていません。
「継続のためにおりおり新しい方法論を考える、自分を刺激する努力をする」ということは、無意識のうちに実行している気がします。
これを実行するだけでも、毎日が少しおもしろくなっているのが感じられます。

いろいろなことに対してアンテナを張る。受信したものを深く追求してみる。
それがこのブログの今のスタンスです。とりあえずはこの方法でいこうと思っています。

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ブログは日記か否か、日記を研究する

ブログを始めるときに、「日記にはしたくない」と思って始めました。

ブログについて、いろいろと調べたり、読んだり、何より自分で記事を書くようになって、ブログは日記であるという認識に変わっていきました。

なぜ変わっていったかというと、日記にはいろいろなスタイルがあって、それは人それぞれであるという考えが強くなってきたからです。

日記には決まった形式はないのです。
どんな形式でも、どんな内容でも日々を記録していたら、日記と言えるのではないかと思うようになったのです。

つまりブログは日記の一種であろうと考えるようになってきたのです。
それならば、一度日記を研究してみようということで、ブログの研究と一緒に日記の研究も始めてみました。

そもそも、なぜ「日記にはしたくない」と思ったかというと、日記に対していいイメージを持っていなかったということがあります。
日記は今まで、私にとっては書かされるものだったのです。
学校で先生に書きなさいと言われて書く。そういう感覚しかありませんでした。

日記の研究の手始めとして、阿久悠さんの著書、「日記力『日記』を書く生活のすすめ」(講談社+α新書)という本を読み始めました。

この本は「ブログの力」という本で紹介されていて知りました。
今まで、私がイメージしていた日記とは、全く考え方の違う日記について語られています。
この本で気になったところは、また今度紹介したいと思います。

この本に関するブログでは、too highというブログの日記力『日記』を書く生活のすすめ 阿久悠という記事が、とてもいい分析をしています。

その中で最も気になったのが、次の文章です。

”自分が情報をどのように受け止めてきたか?”という記録として、 ブログを考えればブログネタのひねり出しにも気楽になるのではないで しょうか?

今の私がブログの記事を書く時に、最も気を使っていることが、この”自分が情報をどのように受け止めてきたか?”ということです。

同じ情報を受け止めるのでも、時間が経つと受け止め方が変化するのです。
だからその時点でどう感じたのかを、記しておきたいと思うようになりました。

「いいブログだなぁ」と感じるブログは、どのように受け止めたのかということを、懸命に表現しているブログのような気がします。

備忘録のようなブログの存在を否定はしませんが、インターネットに公開することに意味があるとは思えません。
備忘録ならば自分のパソコンで見れればいいわけで、いろいろな人に見てもらう必要はないのです。

これからも今までと同じスタンスで書いていけばいいと確信できました。日々感じたことを記していきたいと思います。

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